遊戯王最初の事件 東京ドームの乱 プレミアムパック販売中止騒動
【前書き】
【第1期の歴史11 不遇すぎる初期の儀式モンスター 復活できないスカルライダー】の続きとなります。ご注意ください。
儀式モンスターと呼ばれる新たな分類のカードも誕生し、遊戯王OCGはカードゲームとして可能性の幅を僅かに、しかし確実に広げる形となりました。
順調に成長を続ける遊戯王OCGでしたが、1999年8月26日、コナミ主催の公式イベントにて、保護者まで巻き込んだとある大騒動が引き起こされてしまうことになります。
【1999年8月26日 東京ドームの乱】
事の発端は、とあるパックが「遊戯王デュエルモンスターズ決闘者伝説 in TOKYO DOME」というイベントの会場限定で販売されると告知されたことにありました。
パックの正式名称は「PREMIUM PACK 1」で、現在まで続くプレミアムシリーズの第一弾となっています。現在では、イベントで先行販売された数ヶ月後を目安に一般販売されるという形式のパックですが、この時はイベントを逃すと二度と購入できないものとされていました。
曖昧な記憶で恐縮ですが、当時の現行の週刊少年ジャンプで「ここでしか手に入らない」といった類の煽り文句を見た覚えもあり、この時期にこのパックの存在を目に入れていた方は多かったのではないでしょうか。
結果的に、この宣伝効果はコナミの想定を超える絶大な影響を及ぼす形となります。
イベント開催日、限定パックを求めて全国各地から遊戯王ファンが東京ドームに詰めかけました。その推定人数はおよそ4万人以上(※)とされており、頭の中でもすぐには想像できない数字です。
(※当時のコナミのアナウンスによると、5万5千人+入場規制により会場に入れなかった参加者およそ1万人の計6万5千人とのことでした)
ここに一つ目の落とし穴があります。
そもそも、このイベントは元々はゲームソフト「遊戯王デュエルモンスターズⅡ 闇界決闘記」の全国大会、及び遊戯王OCGの全国大会のために開催されたものでした。
しかし、あまりにも高い宣伝効果が発揮されたことで目的が入れ替わり、結果的に限定パック目当ての来場者が大部分を占めるという状況へと陥ってしまいます。つまり、万単位の購入者が一つの商品を求めて会場に集まった格好となります。
問題はこれだけではありません。
二つ目の落とし穴は、パックの販売態勢が十分に整えられていなかった点にありました。
現在、コミケなどの大規模なイベントが大過なく消化されていることからも明らかですが、きちんとした態勢さえ整っていれば多少の混雑は処理することができます。
しかし、この時のイベントでは十分どころか標準以下の態勢しか取られておらず、なんと販売スペースが一ヵ所しか設けられていませんでした。
万単位の人数が販売スペースという狭い空間に集まろうとするわけですから、混乱が起こらないはずがありません。販売開始直後に一気に大勢が押し寄せてしまったらしく、販売スペース周辺が大混乱に陥ってしまう形となりました。
その結果、事態を抑えるためか二時間近くに渡って販売が先延ばしにされたようですが、結局収拾がつかずパックの販売自体が取り止めとなってしまったようです。
しかし、本当の騒動はここからで、パックの販売が中止となったことで来場者が激怒し、会場内で大騒動が起こってしまう形となりました。単にパックが手に入らないというだけの話ではなく、炎天下で何時間も待たされた挙句の販売中止であり、当然と言えば当然の反応です。
事態の収拾のために機動隊も出動するなど、騒動を通り越して「暴動」に近い状況となっていたことが窺えます。騒ぎは日中の間には収まらず、その日の夜になっても数千人の方が会場に残り、主催側に抗議を続けました。
実際に行ってきた当時の友人によると、あまりの混雑で前にも後ろにも進めないような状況だったそうです。とにかく待たされたことしか印象に残らなかったらしく、「運動会の練習の3倍くらい疲れた」などと語っていたことを覚えています。
もちろん、パックが販売中止となったことには相当腹が立ったようですが、その時にはもう怒る気力も残っていなかったとのことです。しかも、騒動のせいで販売スペースから出るに出られず、脱出には一時間近くかかったと零していました。
後日、販売中止となったパックが来場者限定で通信販売されたものの、それが騒動の補填となったわけではないのは言うまでもないことでしょう。
また、この次の弾となるプレミアムパック2では、限定販売(ウルトラレア収録)の後、収録カードのレア度を下げた上での一般販売(スーパーレア収録)がなされています。この販売形態の変更の背景に、当事件の手痛い失敗の影響があることは間違いないと思われます。
ちなみに、上記の通信販売では一人当たり購入できる数には限りがあったようですが、この時は私も数パック分だけ相乗りさせてもらっています。普通は友人同士でもとても頼めないところですが、当時子供だったこともあってカード欲しさが先に出てしまった苦い記憶です。
いえ、別に喧嘩になったとか、険悪な空気になったとかいうわけではないのですが……。
大会中断事件 公式最大級の黒歴史
加えて、上記の騒動の影響で本命イベントであるはずの大会が途中で打ち切られてしまったことも大きな問題だったと言えます。
もちろん、上記のような状況で何事もなく大会を進行するのは土台無理な話ではあるのですが、それはそれとして公式主催、それも大規模なイベントでこうした事態が発生してしまうというのは致命的です。実際に会場内で行われたのは第1次、第2次予選までで、決勝トーナメントが行われることはありませんでした。
また、第2次予選を勝ち残ったプレイヤーは数時間に渡って待機スペースで放置される羽目になるなど、対応自体がかなり杜撰なものとなってしまった背景もあります。一応、大会そのものは後日地域ごとに分けられての予選が改めて行われていますが、巻き込まれた参加者にとっては災難以外の何物でもないでしょう。
補足となりますが、この一連の騒動は翌日のニュースや新聞にも取り上げられており、遊戯王界隈のみならず世間一般にも問題が知れ渡ってしまう事態にも繋がっています。遊戯王の歴史上においても稀に見る大きな失敗であり、まさに公式最大級の黒歴史とも言える事件だったのではないでしょうか。
【召喚神の降臨】
とはいえ、この時に起きたことは悪いことばかりではありません。
プレミアムパックに収録された10種類のカードの中に、最後のエクゾディアパーツである「封印されしエクゾディア」が封入されていたからです。
このカードに加え「封印されし者の左足・右足・左腕・右腕」が手札に全て揃った時、勝利が決定する。
遊戯王OCG史上初となる特殊勝利カードです。テキストの通り、エクゾディアパーツを手札に揃えることでゲームに勝利することができます。
遊戯王を代表するカードの一つと言っても過言ではない存在で、原作ファンにはたまらない一品となっています。原作漫画では「DEATH-T編」の最終決戦において、主人公の伝説的な逆転劇を演出しました。
しかし、知名度の高さに反して、作中で主人公に使われたのはその一度が最初で最後となっています。揃った瞬間に勝利が確定するというデウス・エクス・マキナ的な扱いの難しさからか、敵キャラクターによってパーツを海に捨てられてしまい、それ以降は主人公に使われることはありませんでした。
もちろん、純粋にカードゲームとしての面においても、あらゆる意味で規格外な性能のカードです。心を奪われたプレイヤーも少なくはなく、誕生以降はこれを軸にしたデッキが無数に考案されていくことになりました。
しかし、当時はエクゾディアパーツ一つ一つが希少度の高いカードであったため、全てを自力で揃えるのは非常に困難と言わざるを得ない状況となっていました。
エクゾディア界隈が活発化するのは、再録によってパーツの入手が容易となってからの出来事となります。
【大会プロモカード】
また、当大会のプロモーションカードとして、合計8種類の新規カードが誕生しています。
同年2月21日開催の大会の賞品と比較すれば配布数は多かったものの、やはり例外的なカードであることに変わりはなかったため、ここでも便宜上は存在しないカードとして扱わせていただきます。
ちなみに、この時の優勝賞品である「青眼の究極竜」は2012年にオークションに出品され、120万円で落札されたそうです。世界に2枚しか存在しない内の1枚であるため、価格としては妥当なもの(※)だったのかもしれません。
(※むしろ今市場に出回れば8桁の価格がついてもおかしくないと思われるため、逆に安すぎる価格設定でしょう)
とはいえ、そうした金銭的な話はさておき、いわゆる決闘者的な価値観においては「それを売るなんてとんでもない」と言わざるを得ない話です。
もちろん、カードが欲しい人の手に渡るというのは、良いことだとは思いますが……。
【まとめ】
1999年8月26日当時に起きてしまった騒動については以上となります。
来場者はもちろん、主催側にとっても苦い事件であったことは間違いなく、誰にとっても遺恨の残る結末となってしまいました。
後味の悪い話ではございますが、避けては通れない話題でもあり、記事に取り上げさせていただいた次第です。ご容赦ください。
ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
ディスカッション
コメント一覧
ゲストでこの大会の司会のアシストをしていたミスターエックス(当時のVジャンプに出ていた宣伝キャラクター)がマイクで中止を宣言したとき「はぁ?ふざけるなよ!!」
となったのを今でも覚えてます。
あのころは、まだ子供でそのウラの事情まで考えることはできなかったなぁ。
後は、通路で「危ないぞ!みんな将棋倒しになるぞ!」といいながら自分だけ
人を押しのけて先に外に出ていったおじさんが忘れられませんw
※ちなみに大会の方は後日、地域ごとに分けられての予選が改めて行われました。
貴重な体験談をお聞かせくださり、まことにありがとうございます。
大会のゲストキャラクターや会場の様子等を詳しくご教示いただき、大変勉強になりました。記事にその旨を補足いたしましたことをご報告申し上げます。
まあそれはそれとして、当時は都合が合わずに涙を呑んで友人を見送りましたが、実際行っていたら大変な目に遭っていたと思うと何とも奇妙な巡り合わせを感じます。事あるごとに愚痴を零していたことは覚えていますので、相当腹に据えかねる体験だったことは想像に難くありませんが……。
当日GBの大会に参加していました。
物販の混乱は、直前になって入場ルールが変更されたことが大きいでしょう。(「GB大会参加者のみ」から「少年ジャンプを持参した方なら誰でも」)
GBの1回戦開始前に「会場内外は非常に混雑しているが、参加者は大会終了後に物販購入の機会をもうける」旨のアナウンスがあったと記憶しています。実際にGB大会の会場であるドーム内部は混み合うことなく、司会の中止宣言までまったく外の状態を知り得ませんでした。
後日運営から謝罪と通販のお知らせが届きました。通販の条件として「当日会場で大会に参加していた証拠となるもの」を返送するという指定がありました。これもずさんなもので、例えばスターチップを複数所持していればその分だけ通販申請できましたし、スターチップホルダーのプラスチックケースや、東京ドームのチラシでもOKでした。
色々な意味で日本のTCGの歴史を変えたイベントだと思います。
コメントありがとうございます。
記事の該当部分(2か所)にいただいた情報を追記いたしました。貴重な情報提供ありがとうございます。
当時も騒ぎになりましたが、改めて振り返ると多くの部分で対応不足感が際立つ騒動だったように思います。
この大会当日友人と参加しました。
ドーム内で友人とはぐれてしまい探していたところ、急に目の前で「いまから販売致します!」とスタッフが呼びかけて並びが始まりました。
参加目当てはパックだったのでそのまま列に並んでましたが大混雑、列はいつのまにかバラけて戦争状態に…しかしスタッフ数名による販売により一人5パックまでだったかな?少し販売している時間があったのです。
私は戦争を勝ち抜いて5パック購入できましたが、友人は買えずにその日ははぐれたままで各々帰りました。家についたらニュースで報道されていて、パックが販売中止になったと見て親に自慢したのを覚えています。
翌日近所のカードショップで、時の魔術師10万とかホントに買う気あんのかと思うほどの高価買取表も見ましたがそのまま所持。結局供給が追いついて思い出だけが残りましたとさ。
私は遊戯王の歴史の中にいましたw
当時は情報を得るのが大変で色々と不便な面もありましたがいい時代でしたね。とても懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
OCGプレイヤーはもちろん、遊戯王を知らない層にも騒動が知れ渡ってしまい、子供心にも事態の深刻さが感じられる出来事でした。確か学校では「カードが買えないくらいで騒ぐなんて情けない」的な空気が強く、若干もやもやしたものを抱えた記憶が残っております。
私はアメリカ人で聞いたことがありません!とても面白いです。私の友達もこの物語が好きです。
まだ日本語を習っているから、日本語が下手ですみません!
コメントありがとうございます。
私のブログを読んでくれて、嬉しいです。日本語の勉強、応援しています。
この大会ともう一つ初代ポケモンのミュウの配布のイベントが幕張メッセておりそれらの目的のためにこの時初めて東京に行きました。
当時は子供でありGB2の大会とは知らずパックのカードが欲しくて行ったのですがとにかく人だらけで東京ドーム周り1周に長蛇の列が出来ており会場内にすら碌に入れないで状態でした。
結局半日近く費やして1周しても会場内に入れなかったので断念して帰りました。
後日パックの販売中止とここまでの騒動となったことを知り断念したのは正解だったと思いました。
この翌日に幕張メッセであったミュウの配布イベントは騒動もなく普通に入れてゲット出来たのでこの時の大会の主催者側はここまで人が来るとは思わなかったゆえの事件だったと思います。
とにかく人だらけの印象でこのコメント内で会場に入れた幸運な方もいますが自分のように断念して帰った人も大勢いたと思います。
コメントありがとうございます。
当時のコナミのアナウンスによりますと会場内の参加者が5万5千人、入場規制を受けた参加者が1万人以上とのことでしたので、人数だけで見ても相当に深刻な騒動となってしまったように思います。当時はこうした不祥事的な出来事に耐性がなかったこともあり、遊戯王が事件的に新聞に載っているのを見て子供心にショックを受けたことを覚えています。
当時小学生でこのパックが欲しくて父親にお願いして連れてきてもらいました。
販売のアナウンスが流れて物販コーナーに移動してしばらくしてから販売が始まろうとした瞬間に後ろから凄い勢いで押されて人と人に挟まれて小学生だった自分は本当に息ができないくらい苦しかったのを今でも覚えています。
入場時に貰ったパンフレットを捨てなかったおかげで後日パックは入手できたのが不幸中の幸いでした
コメントありがとうございます。
大勢の人の流れは将棋倒しなどの事故に繋がりやすいということもあり、何か1つ違えばパック騒動ではすまない事態になっていたかもしれないと思うと、今更ながら恐ろしい心境になります。大袈裟でも何でもなく、不幸な事故が起こらなかったことだけが救いと言えるような騒動でした。
2回目の東京ドームイベント、ありましたね
私は抽選落ちでした…行きたかった
コメントありがとうございます。
抽選については恐らくこの時のような事態を防ぐための措置だったものと思われますが、それでも遊戯王において大きな節目となる折角のイベントですし、いちファンとしては現地で参加したい気持ちもありました。次回があるとすれば30周年ですが、その際にはより多くの方が参加できるような方式を取っていただけたらと思います。
私も第一回大会のデュエリストでした。
今でも当時送られてきた招待状とパスを封筒ごと残していて宝物です。
大会で配布されたスターチップがカードゲームのスターターキットと違って金属製だったのに感動したなぁ
コメントありがとうございます。
やはり子供の頃の思い出というのは幾つになっても色褪せないと最近は特に思います。私自身マスターデュエルのリリース以降しばらく紙から離れてしまっている面もありますので、あの頃のワクワクを思い出すということでそろそろ復帰したいところです。