遊戯王 環境の歴史1 第1期 伝説の始まり
・前書き
・初期のカードデザインについて
・モンスターカードのデザイン
・魔法・罠カードのデザイン
・初期のルールについて
・生け贄なしで召喚できる最上級モンスター
・魔法・罠カードは1ターンに1枚まで
・自壊する罠カード
・その他の細かいルールの違い
・当時の環境 1999年2月4日
・まとめ
【前書き】
それでは早速遊戯王の歴史について解説いたします。
ここで取り扱うのはコナミ版の遊戯王です。バンダイ版については特に触れません。流石にデザインからルールまで何もかも根本的に別物なので……。
さて、そのコナミ版ですが、もちろん誕生初期から今の形態であったわけではありません。
カードゲームとしてのルールは極めて簡素なものしか存在せず、カードデザインも現在とは大きく異なっていました。もちろん、リミットレギュレーションなどの競技ルールもなく、非常に原始的な札遊びの様相を呈していました。
(※動画版のまとめも作りましたので、よければこちらもどうぞ)
【初期のカードデザインについて】
全てのカードに共通することとして、カードナンバーが書かれておらず、更には偽造対策のホログラム加工も存在しませんでした。
この対策が取られるのは第2期に入ってからのことで、それまでは不正に偽造されたカードが出回ることもあったようです。私は実際にその販売現場に遭遇した経験はないため詳しい話は致しかねますが、本来絶対に存在しないはずのレアリティのカードが流れてくるなど、物的証拠はあったためこういった犯罪行為が横行していたのは間違いないでしょう。
また、デザインという観点からは外れますが、いわゆるエラーカードと呼ばれるカードも比較的多く出回っていました。
開発側のカード生産体制が整い切っていなかった影響か、テキストに不備がある、属性アイコンの色が通常と異なるなど、不良品と呼んで差し支えないカードが流出するケースは少なくなかったと記憶しています。
特に、「EX-R」に収録されていた「戦士族」の「人喰い虫」などはあまりにも有名なエラーカードです。戦士族の種族サポートを受けられるか否かなどでトラブルになりやすく、こういった問題が表面化していった形となります。
モンスターカードのデザイン
カードの種別ごとのデザインについて触れていきます。
モンスターカードは、攻守の枠のスペースが非常に大きく取られており、テキスト欄をやや上回るほどのサイズとなっていました。その分テキスト部分が小さく圧迫されており、単刀直入に言って非常に読みにくい仕様だったのではないでしょうか。
カード自体のデザインはともかく、記述面では実用性に優れているとは到底言えないことは明らかです。結局、第2期で多少の改善がなされたものの、この同型のデザインは程なく淘汰されました。
第3期以降は現在に通じるデザインに統一されています。
魔法・罠カードのデザイン
魔法・罠カードは種別アイコンがなく、カードの分類を見分けるのが困難でした。
ただ、この時期はそもそも種別自体が少なく、ある意味あまり気にならない仕様でもありました。魔法カードは「通常魔法」「装備魔法」の2種類、罠カードは「通常罠」の1種類となっています。
補足いたしますと、新たな分類のカードが生まれるのは1999年3月18日のことです。これについては次の記事で解説いたします。
【初期のルールについて】
現在と大きく異なっている部分を挙げていきます。ここで取り上げるものは大きく分けて3つです。
生け贄なしで召喚できる最上級モンスター
一つ目の違いは、アドバンス召喚(生け贄召喚)が存在しないという部分となります。アドバンス召喚とは簡単に言いますと「自分のモンスターをコストに上級モンスターを召喚する」ことですが、これがありません。
どういうことかというと、レベル5以上のモンスターだろうとそのまま通常召喚できてしまうということです。
現在では、コストを払わずに通常召喚できるのはレベル4以下のモンスターだけです。レベル5以上のモンスターは、そのレベルに見合ったコスト(レベル5・6ではモンスター1体、レベル7以上ではモンスター2体)を支払わなければなりません。
半上級モンスターなどの例外は存在しますが、多くの場合このルールに逆らうことはできません。
しかし、この時代ではそのような制限はありません。たとえレベル8の「青眼の白龍」だろうと、何のコストも払わずに召喚できてしまいます。
こういった背景から、資産的な理由を除き、モンスターは攻撃力が高い順にデッキに採用されていくのが常識となっていました。当時は効果モンスターがまだ生まれていなかったこともあり、工夫の余地は存在しませんでした。
魔法・罠カードは1ターンに1枚まで
二つ目の違いは、魔法・罠カードをそれぞれ1ターンに1枚しかフィールドに出せなかった点です。
「出す」というのは現在では馴染みのない用語ですが、「手札からカードを発動する」「フィールドにカードをセットする」の二つの行為が該当します。
つまり、今で言うところの「名称ターン1制限」が全ての魔法・罠共通でかかるようなものです。ゲームが高速化した現代では、非常に拘束力の高いルールとして機能することでしょう。
しかし、当時は魔法・罠そのものの数も少なく、あまり意味を成していないルールではありました。とはいえ、原作ルールの再現という意味では、重要なルールであったのかもしれません。
自壊する罠カード
三つ目は、罠の自壊に関するルールです。
これは厳密にはルールと呼べるのか曖昧なところがありますが、当時の通常罠カード(使い切りのカード)には自分自身を破壊するテキストが含まれていました。
「落とし穴」を一例に挙げると、
相手がフィールド上で表向きにしたモンスターの攻撃力が1000以上だった場合、「落とし穴」とそのモンスターを1体破壊する事ができる。
というテキストとなっています。
どういうことかというと、この自分自身を破壊するテキストが含まれていない場合、フィールドに残り続ける扱いとなっていました。よって、もしも「落とし穴」に自壊効果がついていなかったとすると、相手のモンスターを片っ端から破壊し続ける脅威の除去カード(※)となっていたということです。
(※もちろん、実際にはそんなことは起こりませんが、ローカルルールについてはこの限りではなかったようです)
ちなみに、この「フィールドに残り続ける罠カード」が初めて誕生したのは1999年3月18日のことでした。「ドラゴン族・封印の壺」というカードで、いくつか面白い逸話のあるカードでもありますが、ここでは割愛いたします。
その他の細かいルールの違い
さて、ここまで大きなルールの違いについて三つ解説いたしましたが、これらの他にも、
・手札枚数の上限がない
・サイドデッキは10枚まで
・誘発即時効果の使用不可
・デッキ切れの場合の勝敗の分け方
・マッチ戦の引き分けに関する扱い
・アンティルールの存在
など、細かなルールは存在していました。また、公式ルールとは別に地域ごとのローカルルールが使用されることも多く、代表的なものでは初期ライフ4000や2000でスタートするもの、またダイレクトアタックを禁止とするものなど、様々なルールが混在していた時代です。
ただ、そこまで触れてしまうと話が長引いてしまいますので、恐縮ではありますが一旦ルールの話はこの辺りで終わりとさせていただきます。
(アンティルールに関する話は専用記事を用意しております。ご興味をお持ちの場合はそちらをご覧いただければ幸いです)
では、結局のところ、こういった不安定な状況は一体どのようなゲームを生み出していたのでしょうか?
火を見るより明らかなことですが、極めてバランスの悪い「カードゲームのような何か」が生まれていただけでした。
【当時の環境 1999年2月4日】
(※当時は「環境」という言葉はまだ使われていませんでしたが、他に言い方がないため便宜上そう呼んでいます)
1999年2月4日、記念すべき第1弾「Vol.1」が販売され、史上初となる実物のカードが誕生しました。僅か40種類であり、まだまだカードゲームとしては赤子のようなものでした。
モンスターカードの中で特に優秀だったのは、「暗黒騎士ガイア」「ブラック・マジシャン」の2枚です。
当時のカードプールでは攻撃力が2000を超えているのはこの2枚のみであり、次点は下級モンスターの1200となっています。まさに桁違いのカードパワーを持っており、これを引くかどうかがゲームに大きく影響していました。
さらに、モンスターを除去できるカードは魔法カードでは「地割れ」「ブラック・ホール」の2枚、罠カードでは「落とし穴」しか存在せず、明らかにモンスターカードの数が過剰なゲームバランスに仕上がっています。
しかも「地割れ」は攻撃力の一番低いモンスターしか除去できず、「落とし穴」は先置きでなければ無力です。あまり効果的な対策とは言えず、実質の確定除去は「ブラック・ホール」しか存在していませんでした。
フィールドに存在する全てのモンスターを破壊する。
当時の「ブラック・ホール」のテキストです。自分のモンスターを巻き込む点が弱点と言えなくもありませんが、あらゆるモンスターを無条件で除去できる強力さの前には霞んでしまうデメリットでした。
その他の要素としては、装備魔法と呼ばれる、モンスターの攻守を上昇させる魔法カードも一応は用意されています。
しかし、特定の種族しか装備できず、加えて上昇値は僅か300と貧弱そのもので、戦闘補助としては誤差に近い強化となっていました。
これらのことから、当時のデッキの構築は「暗黒騎士ガイア」「ブラック・マジシャン」「ブラック・ホール」を可能な限り投入し、次善のカードとして「地割れ」「落とし穴」を採用する、というものが理屈の上では最善となります。
残りの枠は、消去法的に弱小モンスターを攻撃力の高い順に入れていく形になるでしょう。
無理矢理デッキ名をつけるのであれば、【生け贄無し最上級】といった表現が当てはまるのかもしれません。しかし、実態はモンスターを攻撃力の高い順に並べただけであり、デッキ構築と呼べるかどうかは疑問が残ります。
また、プレイヤー側の都合として、そもそも多くの場合「暗黒騎士ガイア」「ブラック・マジシャン」を所持していなかったという根本的な問題もありました。
当時それらはレアカードで、極めて入手困難と言わざるを得ない希少なカードとなっていました。更に、今と比べてカードショップ自体の数が少なく、精々玩具店の一画に専用のスペースが設けられているという程度です。
現在では当たり前のシングル買いなどといったシステムも取り入れられておらず、レアカードを入手するにはパックを纏め買いして自力で当てるしかありませんでした。
結果として、カード資産の差がそのまま勝率に直結してしまう状況が多発しました。
実際のゲームの流れとしては、正直わざわざ言葉にするのも馬鹿らしいほどで、攻撃力の高いモンスターを召喚した方が勝つ遊び(※)です。
(※詳しくは動画をご覧ください)
全体除去をケアしてモンスターを温存するなどの駆け引きができないこともありませんが、前述したように除去カードがほとんど存在しないため、何も考えずに攻め続ける方が勝率は高いでしょう。
ここまで読まれた方の中には、「一体何が面白いのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。その質問に対しては、客観的な回答は差し控えさせていただきますが……個人的には、まだバンダイ版の方がいくらか面白かったように思います。
一応、それでも何だかんだ楽しく遊んでいた時代ではあったのですが……。
【まとめ】
さて、当時の状況が非常に混沌としたものだったことはお伝えできたかと思います。
今では信じられないような話ばかりではございますが、一つ言える事実があるとすれば、遊戯王というカードゲームはここから始まったのだ、ということです。
今でも賛否両論あるカードゲームですが、遊戯王の歴史はこのような形でスタートを切る形となりました。
ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
ディスカッション
コメント一覧
ちなみに ここには書いてませんが遊戯王は元々はバンダイの東映版が元祖でそれから どれぐらいでコナミに移ったのかしりませんが「東映版の遊戯王が終了して 王国編に入ってから辺り?」バンダイ→コナミになってカードイラストとかルールとかも大幅変更されたようです
コメントありがとうございます。
バンダイ版については流石にルールから何まで別物すぎるということでここでは取り上げませんでしたが、コナミ版に移る以前に少し遊んでいた記憶があります。と言ってもルール面の整備が不透明な部分も多く、どちらかというとローカルルールの方が流行っていたかもしれません。