遊戯王最初の禁止制限は本当に1999年5月だったのか?
【前書き】
遊戯王OCGというカードゲームがあります。
その歴史はなんと1999年(バンダイ版は除く)から始まっており、世界的に見ても非常に古いルーツを持ったカードゲームです。しかし、それゆえにOCG発足当初の出来事に関する情報は少なく、具体的な様子が不透明な部分も決して少なくありません。
このページでは、そうした黎明期における話のうち、1999年に存在していたと言われる幻の禁止制限について考察していきます。
仮説は3つ 真相は?
とはいえ、考察という表現を用いている通り、当記事では確実に正しいと断言可能な答えを示すことはできません。個人で行える範囲の情報収集は可能な限り行ったつもりですが、はっきりとしたソースが存在する情報源は見当たらなかったというのが現状です。
そのため、根拠となり得る既存のウェブページをいくつか取り上げ、それらを噛み合わせた仮説という形で結論を導き出そうと思います。
まずは先に仮説を下記に示しますが、可能性はおおむね3パターンに絞られるのではないかというのが個人的な推測です。
①:禁止制限は確かに存在した。
②:8月の大会用リストがOCG用と誤解されていた。
③:当時のローカルルールが公式のものと誤解されていた。
1つずつ見ていきます。
①:禁止制限は確かに存在した
最初に取り上げるのは以前私が自分で書いた記事となります。
これはカテゴリページの大見出しにある注意文の通り、おおむね私個人の体験談を根拠としている記事です。思い出をそのまま書き綴っているため大きく外れているということはないはずですが、その分曖昧な部分も多く、確信をもって言えるのは「自分の周りではこうだった」という不確かな記憶に過ぎないことは否めません。
実際、この頃はこうした情報の共有手段そのものが乏しかったため、当時子供だった私には情報の取捨選択が上手くできていなかったのではないか、という疑問もあります。流石に明らかに嘘と分かる情報を鵜呑みにすることはありませんでしたが、結局のところ個人の体験談の域を出ないことは前置きにある通りです。
ただ、自分の経験を全く考慮に入れないというのもそれはそれで妙な話ではあり、結論としては「少なくとも真実の一端ではある」といった形に収まるのではないでしょうか。
②:8月の大会用リストがOCG用と誤解されていた
次に紹介するのは外部サイト様の記事となります。
上記ページによると、当時のリストは1999年8月26日に開催された全国大会の「大会限定リスト」であり、OCG向けのものではなかったとのことです。
一応、本文の一部を下記に引用させていただきます。
1番初めに禁止・制限リストが発表されたのは1999年8月26日に行われた
『第1回全国大会「世界大会」IN TOKYOドーム』での大会当日限定リストです。
この時は制限カードのみで禁止カードはありませんでした。
こちらのサイト様は初期の段階から遊戯王OCGに触れている方が運営されているため、情報源としての信頼性はかなり高いのではないかと思います。私の経験とも少なからず合致する部分はあり、有力な根拠のひとつとして取り上げた次第です。
③:当時のローカルルールが公式のものと誤解されていた
最後に紹介するのも外部サイト様の記事となります。
更新日時2007年とかなり古いページですが、内容としては「制限リストをサークル内で独自に決めていた」というものです。
こちらも本文の一部を下記に引用させていただきます。
制限カードも相変わらず無くて、関東の遊戯王カードサークル独自で決めていました。
仲間内だけのローカルルールです。制限カード
サンダーボルト
ブラックホール
落とし穴
見ての通り、リストは8月の公式リストと完全に同一です。とはいえ、ゲームバランス的に上記3枚を規制しようという判断が出ることは特に不思議ではなく、これについてはただの偶然と言えます。
問題はこうした偶然が各地で散発的に発生し、なおかつそれが正されなかった場合の話です。
当時の不安定な状況を鑑みる限り、「ローカルルールが公式ルールと誤解される」という可能性は大いにあり得る話と言えるでしょう。基本的に信頼できる一次情報は(書籍含めて)ほとんど存在せず、それどころかそもそも何が一次情報なのかすらはっきりしない状況だったからです。
実際のところ、カードの効果の裁定などは誤解されるのが当たり前という風潮も強かったため、それが禁止制限リストにも当てはまるのはある意味当然の成り行きだったのかもしれません。
【まとめ】
このように、3つの仮説をそれぞれ考察してみましたが、前置きした通りいずれも単体では決定的な答えには至らないという前提は動きそうにありません。そのため、やはりこれらを踏まえてキメラ的に仮説を捻り出すしかないのではないか、というのが最終的な結論です。
具体的には、「公式・非公式かは不明だが、禁止制限に近い何かは存在した。それが後々に8月の大会用リストと混同され、判別がつかなくなった」というような仮説となります。かなりフワフワとした曖昧な表現ですが、これ以上のことを掘り下げるのは厳しい道のりとなってしまうことは否めません。
ちなみに、以前ご迷惑とは知りつつ公式サイト様に問い合わせたこともあったのですが、案の定やんわりと受け流されてしまいました。そうなると流石に八方塞がりの感はあり、今となっては完全に迷宮入りになってしまったという印象です。
どこかに信頼できる情報源が、まだ生き残っていればよかったのですが……。
ここまで目を通していただき、ありがとうございます。
ディスカッション
コメント一覧
いつも楽しく読ませていただいています。
この件、私も気になったので少し調べてみました。
確定させる情報までは出なかったのですが、
「1999年8月26日にはOCGの大会も開催され、落とし穴・ブラックホール・サンダーボルトが制限カードに指定された」
というのは確実な様です。
ソース:Vジャンプ1999年9月号
(以下のメルカリの出品から該当部分がギリギリ見えました
https://www.mercari.com/jp/items/m38958545693/
それにしても血の代償の説明が誤解しか生みません(笑))
これ以前に同様の規制があったかは未確認ですが、②のような
「OCGの大会に向けてリストを作成した。後のリストはその延長線上に作られた」
というのが正しそうに思えます。
コメントありがとうございます。
非常に貴重な情報源をいただき誠にありがとうございます。まさか現物が残っている、それもネットショップに出品されているとは思いもよりませんでした。是非とも欲しい一品でしたが、残念ながらもう売り切れてしまっているのですね……。
制限リストが8月に存在したことはこれで確定しましたが、やはり5月頃に存在したかどうかまでははっきりとはしない感じですね……。確かショップに紙が貼られていた(公式と明記してあったはず)ことは覚えているのですが、それがいつ頃の話だったかは流石に思い出せず、若干歯がゆい思いです。
「血の代償」については私自身それほど騒動の印象は残っていませんが、まさに初期遊戯王の混沌を象徴するカードであるように思います。嘘か誠か1枚数千円で取引されていたという話も耳にしますし、ある意味初期エクゾ以上に曰く付きの存在なのかもしれません。
さすがに「無かった事」の証明は難しいですね。
ただ、雑誌・書籍などでの公示が無く、ショップのみに連絡が行くという事態は、当時の事情を考えても可能性が低いと思われますので、
エキスパートルールが公開された99年5月からVジャンプ9月号発売の7月の間の出版物を調べてみたいですね。
ちなみにVジャンプ8月号とBOOSTERシリーズのルールカードに無いのはほぼ確定です。
ソース:https://www.yugioh-card-collection.com/entry/20190216/1550286000
https://ameblo.jp/yuikenta-c/entry-12362073765.html
個人的には
・「OCG大会向けリスト」が制定され
・「普段からそれに従うかはローカルルールの範疇」と考えた人達と
・「現在のリミットレギュレーションと同等の物」と捉えた人達がいた
というのが、全員の証言が一致する形になって良いのですが。
リンク先のページを拝見しました。詳細な情報提供ありがとうございます。
やはり状況証拠的には8月以前の制限リストはほぼ非公式のローカルルールだった説が濃厚ですね。長年の謎が解けて嬉しく思いますが、メイン記事の5月~8月頃の話については公式環境の歴史としては完全に間違った資料になってしまいましたので、あくまでもローカル環境の出来事である旨を明記しておきます。誤情報を記載してしまって申し訳ありません。
このたびは考察にご協力いただき、誠にありがとうございました。また何か気になる点などございましたらご指摘いただければ幸いです。
いつも記事を拝見させていただいてます。
手持ちにあったザ・ヴァリュアブル・ブック1を今確認していたのですが、明確に制限カードの表記はありませんでした。(1999/8/20発売)
エキスパートルールの詳しい説明まであったのに制限カードの一覧が無く、ザ・ヴァリュアブル・ブック2においては同様のルール説明のページに制限カードの一覧がありました。
ただ、載っていたデッキレシピでは確かに全てのデッキにおいてサンダーボルト、ブラックホール、落とし穴の3枚については最大1枚しか入ってませんでした。
闇の仮面3積みまでした罠メインのデッキにすら落とし穴1枚なので、公式としては「制限カードの指定はまだしていないが、すぐにこの3枚については制限をかける予定になっている」という可能性があります。
そのため上のコメントにあるように、8月の大会の場で公式に制限カードの発表をするまで、紙面では「制限カード」という表記をしていないのかもしれません。
ただ、書籍を発売して1週間ほどでの公式の場での発表の為、紙面でのデッキレシピとしては制限に準ずるようにしていた、という可能性が高そうです。
12枚のバーンカード(合計6300ダメ)を入れたデッキに強欲な壺3積みしてるデッキですらサンダーボルトが1枚なので、はっきりと制限カードを制定したのは上記コメントの大会以降でしょうね。
コメントありがとうございます。
貴重な情報提供ありがとうございます。以前のコメントでもご指摘をいただきましたが、やはり8月の大会のタイミングで制限カードの指定が公表された説が有力であるように思われます。
現状の記事内容では考察として適切な内容ではなくなっていますので、後ほど時間のある時に手直しするつもりです。