エクゾディアが最強デッキだった頃の話 全盛期~衰退期の歴史

2018年7月3日

【前書き】

 【エクゾディア】というデッキが存在します。

 遊戯王OCGにおける代表的な特殊勝利デッキの位置付けにあり、遊戯王プレイヤーではなくとも名前を聞いたことがあるという方は多いのではないでしょうか。

 とはいえ実際のところ、現在では既に第一線を退いて久しく(※)、知名度の割にはトーナメントシーンでの活躍もありません。型の種類という意味ではOCGでもトップクラスの派生数を誇りますが、強さそのものは「カジュアルデッキ」「ファンデッキ」に該当しています。

(※ちなみに、今では禁止制限を無視した完全体エクゾディアですらあまり強くないことでも知られています。詳しくは下記の記事の通りです)

 しかし、遊戯王初期の環境において、この【エクゾディア】が猛威を振り撒いていた事実がしばしば話題に取り沙汰されるのは確かです。その一方で、こうした情報は断片的かつ玉石混交でもあり、事実関係や時系列が錯綜していることは否めません。

 ここではそんな【エクゾディア】が、具体的にどのような経緯で環境トップに至ったのか、そして環境外へと衰退していったのかについて解説いたします。

 

【エクゾディア】の歴史

 

【ウィクリ遺言エクゾ】(第1期)

 【エクゾディア】の歴史において、最古となるのは【ウィクリ遺言エクゾ】と呼ばれる型でした。

 カードゲーム黎明期特有の混乱が生み出した暗黒期指定デッキ(※)であり、単刀直入に言って狂気の産物以外の何物でもありません。遊戯王最強のドローソースである「強欲な壺」「天使の施し」を筆頭に、最初期裁定の「クリッター(Vol.6)」「黒き森のウィッチ(Vol.6)」や「遺言状(エラッタ前)」などの凶悪カードを3枚フル投入した極悪先攻1キルデッキです。

(※デッキ解説やサンプルレシピなどは専用ページにまとめております。下記のリンク先をご参照ください)

 また、このデッキ名は便宜上のものであり、現役時代にこのような呼ばれ方をしていたわけではありません。そもそも第1期当時はデッキの種類自体がごく僅かだったため、この頃は単に【エクゾディア】と呼ばれることがほとんどでした。

 実際のメタゲームへの影響面についてですが、当然のように1強環境を築き上げています。

 先攻1キルの成功率に限ればこれ以上のものは多いですが、当時の【スタンダード】は時間をかけてビートダウンを行うのが常識だったため、特殊勝利まで4、5ターンであっても異次元の速さです。2000年に入る頃には【エクゾディア】のミラーマッチが日常風景となり、環境はジャンケンとソリティア・ゲームに支配されました。

 とはいえ、エクゾディアパーツの入手難易度から純粋なデッキ使用率では【スタンダード】が大多数を占めており、一般プレイヤーの間ではそれほど大きな問題にはなっていませんでした。しかし、逆に【エクゾディア】使いが1人でもいると絶対に勝てなくなってしまうなど、むしろデッキの希少性が【エクゾディア】の理不尽な強さを際立たせていた面もありました。

 最終的には第1期終了時の制限改訂によって多角的に規制が入り、大幅に弱体化しています。

 数ある【エクゾディア】の中でも最強の時代であり、遊戯王OCG最初の暗黒期を作り上げた悪名高いデッキです。

 しかし、どんなデッキであっても制限改訂という天災に打ち勝つことはできません。以降の環境ではこれまでの暴虐が嘘のように鳴りを潜め、次の浮上の機会まではカジュアルデッキの立ち位置に甘んじることになりました。

 

 【エクゾディア】が再び環境に浮上したのは第2期前半期、2000年10月頃のことでした。

 一言でコンセプトをまとめるならば、「苦渋の選択」と「補充要員」、さらに「闇の仮面」などを組み合わせたサルベージコンボデッキです。平均キルターンは3~5ターンであり、かつてのように先攻1キルを狙って成立させることはほぼ不可能となっています。

 非常に誤解されやすいのですが、この【苦渋エクゾディア】は「苦渋の選択」で「クリッター(エラッタ前)」「黒き森のウィッチ(エラッタ前)」を墓地に送り、一瞬でエクゾディアを完成させるデッキではありません。苦渋の選択」が現れたのは裁定変更が行われた後の出来事であり、実際には成立しないコンボだったからです。

 話を戻して、この【苦渋エクゾディア】の具体的な強さについてですが、これは意外なことに一般的なトップメタの範疇に収まっています。

 というのも、当時は【グッドスタッフ】【デッキ破壊】などの既存勢力が支配圏を拡大しており、これらをまとめて制圧できるほどの圧倒的な強さは持ち合わせていなかったためです。あくまでも一勢力としての参入であり、事実上は三つ巴の形となってメタゲームを構築していました。

 その後は4ヶ月ほどトップメタの一角として存在感を示していましたが、2001年冒頭の制限改訂でキーカードを潰され、環境から姿を消しています。

 当時としては迅速な対応であり、開発側が【苦渋エクゾディア】を危険視していたことが窺える出来事です。

 第1期とは異なり、比較的健全なバランスに仕上がっていたデッキではありましたが、やはり特殊勝利デッキということで色眼鏡で見られる部分はあったのかもしれません。

 

 【苦渋エクゾディア】の解体後、メタゲームから撤退したかに思えた【エクゾディア】でしたが、次の浮上の機会は僅か3ヶ月後に訪れています。

 「生還の宝札」という新たなパートナーを獲得したことでチェイン・コンボデッキとして生まれ変わり、構築の洗練が進むにつれて先攻1キルデッキとしての趣を強めていっています。第1期ほどではないにしろ暗黒期クラスの凶悪さを備えていることは間違いなく、以降の環境では【エクゾディア】の再来として恐れられることになりました。

 とはいえ、構造上「生還の宝札」に強く依存していることから、事故率がそれなりに高いというのは事実です。

 コンボに完全特化しているゆえに【苦渋エクゾディア】ほど柔軟性があるわけでもなく、トーナメントシーンを安定して勝ち上がれるほど強いデッキではありません。また「王宮の勅命(エラッタ前)」や「ハンデス3種の神器」などの厳しい仮想敵の存在もあり、総合的な評価は地雷デッキに近い位置に収まっていたのではないでしょうか。

 年末に【八汰ロック】を筆頭とする凶悪な新勢力が台頭し始めるとその傾向も一層強まり、最後は【現世と冥界の逆転】に取り込まれるような形で実質の解体を迎えています。

 事実上、【エクゾディア】以上に効率的な1キルギミックに後塵を拝した格好であり、それは【エクゾディア】の天下に陰りが見えた瞬間に他ならなかったのではないでしょうか。

 

【宝札マンティコア】(第3期)

 第2期最後の制限改訂でゲームバランスに一応の整備が入り、遊戯王OCGは綻びを抱えながらも第3期に突入しました。

 この頃はカードプールの関係で先攻1キルデッキを構築することはほぼ不可能となっており、【エクゾディア】もファンデッキ然とした姿に振る舞いを改めています。そのままの形で2002年が終わりを告げ、遊戯王OCGは先攻1キル全盛の時代を脱したかに見えました。

 しかし、2003年7月に「暗黒のマンティコア」が、8月に「おろかな埋葬」が誕生したことを受け、三度【宝札マンティコア】として環境に浮上しています。

 生還の宝札」との無限ドローコンボを利用した先攻1キルデッキであり、上記の【宝札エクゾディア】の後継デッキにあたる存在です。上述の通り、当時は現実的な確率で特殊勝利を決められるデッキは存在しなかったため、この復活は現役プレイヤーの間で大きな話題となりました。

 とはいえ、この時期は【カオス】の全盛期でもあり、この【宝札マンティコア】もそれほど目立った結果を残していたわけではありません。さらに、丁度【サイエンカタパ】成立の兆しが見え始めた時期でもあったことから、先攻1キルデッキとしても存在感が薄れていたことは確かです。

 結局、第3期中は特に見せ場もないまま自然衰退してしまい、以降は「ガチデッキとカジュアルデッキの中間の存在」のようなデッキとして知られていくことになりました。

 その後、第6期に「生還の宝札」や「おろかな埋葬」の規制が進んでデッキが構築不可能となりましたが、もはやこの頃は環境レベルではほとんど意識されておらず、特に話題には持ち上がらなかった印象です。非常に残念なことではありますが、そうした現実は【エクゾディア】というデッキが時代の変化に置き去りにされていたことを言外に示していたのかもしれません。

 

【まとめ】

 遊戯王初期における【エクゾディア】の歴史については以上となります。

 遊戯王OCGが誕生した1999年当時からコンボデッキの代名詞として名を馳せ、かつては先攻1キル筆頭の称号をほしいままにしていた存在です。しかし、時代が進むにつれて次第に唯一の存在ではなくなっていき、やがて先攻1キルデッキとしては2番手以下の立ち位置に甘んじるケースが増えていきました。

 最後は半ばフェードアウトするような形で表舞台を去るなど、ある種の物悲しさを感じさせる結末を迎えています。

 しかし、この時をもって【エクゾディア】の愛好家がいなくなっていたわけではありません。前書きの項にもあるようにデッキの型そのものは無数に考案されており、時折トーナメントシーンでも地雷的に結果を残していくことはありました。

 とりわけ2012年世界大会の場に颯爽と現れた【活路エクゾディア】の伝説は、まさしく究極とも言える愛好心の表れだったのではないでしょうか。

 ここまで目を通していただき、ありがとうございます。

 

Posted by 遊史