遊戯王の環境・メタゲームの総括【第1期完全版】歴代トップメタまとめ

2018年10月23日

【前書き】

 遊戯王OCGの第1期環境についての総括記事です。

 このページだけで全てを網羅するのは不可能ですので、当時の踏み込んだ事情まで知りたいという方はリンク先の専用記事をご参照ください。

(※動画版も作りましたので、よければこちらもどうぞ)

 

第1期(1999年~2000年)

歴代トップメタ(第1期)
1999年2月~5月 【生け贄無し最上級】
1999年5月~7月 【スタンダード】
【装備ビート】
1999年7月~11月 【スタンダード】
【血の代償最上級】
※効果の誤解釈から。実際には構築不可能。
1999年11月~2000年4月 【エクゾディア】

 

OCG発足~公式ルールの成立まで

 遊戯王OCGの歴史は現代より遥か昔、1999年2月4日販売の「Vol.1」から動き始めています。

 この頃は現在のように競技性の高いルールや規定などは設けられておらず、唯一「公式ルール」と呼ばれる急ごしらえのルールが用意されているだけでした。もちろん、環境やメタゲームと呼べるものはその概念さえ生まれておらず、カードゲームとしてはまさに赤子同然の状態だったと言えるでしょう。

 上記ルールのうち、特に目を引く箇所(※)については下記の通りです。

(※厳密にはこれ以外にも細かなルールは存在しました。詳細は上記関連記事をご参照ください。)

 

①:先攻ドローは無し

 

②:生け贄召喚の生け贄が必要ない

 

③:魔法・罠カードを1ターンに1枚しかプレイできない

 

④:チェーンブロック・スペルスピードの概念がない

 

⑤:アンティルールが実在していた

 

 ①~③に関してはよく知られているためここでは説明を省きますが、それ以降は中々想像がつかない世界です。ゲーム内で完結する④はともかく、⑤はカードゲームの領域を超えた話であり、現在の価値観では目を疑うようなルールでしょう。

 とはいえ、当時であってもアンティルールが本気で受け入れられていたわけではなく、事実上は存在しないものとして扱われるケースが大半でした。このルールが法的、倫理的な問題を引き起こすことは明白ですが、それ以前に「持ち物を賭けてゲームをする」という概念そのものが一般的ではなく、そもそもルールの存在自体が疑問視されるレベルの話に過ぎなかったからです。

 個人的にも、アンティ絡みの問題に遭遇するどころか、アンティを持ちかけられた記憶(身内のネタ勝負は例外として)すら残っていません。もちろん、場所によってはこれが問題に繋がったケースもあったのではないか、とは思いますが、少なくとも私の周囲では非常に影の薄いルールであったことは確かです。

 

ゲーム黎明期~エキスパートルール導入まで

 次は実際のゲーム環境についてですが、これについて語れることはそう多くはありません。

 というのも、この時期のOCGはルール面、カードプールともに満足な出来に仕上がっておらず、ほとんど「札遊び」に近い状況を抜け出せていなかったからです。

 組めるデッキも【生け贄無し最上級】とでも言うべきものが唯一で、文字通り「レアカードを持っているプレイヤーが強い」という歪なバランスが成立していました。……というより、全く成立してはいないのですが、現在と違ってプレイングスキルなどが絡む余地もなく、プレイヤーではなくコレクター向けのコレクションゲームのような扱いを受けていたことは否めません。

 もっとも、当時はカードショップ周りの設備がほとんど整っていなかったため、【生け贄無し最上級】を完全な形で構築するのは極めて難しい話だったのは確かです。そもそも、そこまで真剣に競技意識を持ってゲームに入れ込んでいるプレイヤー自体が希少だったという事情もあり、現実的にはストラク3箱を揃える(※)という辺りが上限値だったのではないでしょうか。

(※それでも10000円はかかりますが……)

 ただ、その分シャークトレードも今と比べてかなり横行しており、小学生などが被害に見舞われるケースは後を絶たなかったと言われます。この頃によく耳にした手法はいわゆる「物量作戦」で、いらないカードを大量に積んで(※)レアカードとの交換を狙う輩が一定数いたことは否定できません。

(※ノーマルカードを小綺麗に飾ったファイルを持ち歩いているプレイヤーには注意しろ、という話は巷ではそこそこ有名でした)

 

【スタンダード】と【装備ビート】の時代

 その後、1999年5月5日に「公式ガイドスターターブック」が販売され、エキスパートルールの導入が大々的に告知されることになります。

 これにより初期の大味なルールのいくつかが変更、もしくは廃止され、遊戯王OCGは最低限ゲームとしての体裁が整えられました。上記の【生け贄無し最上級】は構築不可能となり、これ以降は【スタンダード】(第1期)と呼ばれるアーキタイプが一大勢力として広まっていきます。

 これに待ったをかけたのが【装備ビート】と呼ばれるデッキです。

 「エルフの光」などの属性対応装備カードを下級モンスターに装備させ、手軽に上級並の打点を叩き出すことをコンセプトとしています。遊戯王OCG最初のコンセプトデッキであり、当時としては革新的なデッキとして大いに注目を集めました。

 しかし、この直後に「人喰い虫」などの優秀な効果モンスター、また「強欲な壺」を筆頭とするパワーカードが参入したことで次第に勢いが衰えていき、間もなく自然衰退の結末を迎えています。

 とはいえ、こうした効果モンスターは押しなべてステータスが低かったため、意外なことに参入直後から高い評価を受けていたわけではありません。当時はプレイヤー側の実力・知識も未熟であり、「ステータスの高さ=カードの強さ」という価値観が根強かったことから、しばらくは【装備ビート】優勢の時代が続いていた印象はあります。

 また、原始的なメタの概念に近いものが生まれたのもこの頃でした。

 もちろん、現在のように高度なメタゲームが成立していたわけではありません。例を挙げるなら「装備ビート相手にはハネハネが強いらしい」といった程度の認識に過ぎませんが、当時としてはこれだけでも十分に先進的な考え方だったのです。

 さらに補足ですが、遊戯王最初の制限改訂が広まったのもこの頃だったと言われています。しかし、これについては正確な情報源がなく、仮説の域を出ない話です。

 一応、制限カードに指定されたカードについては下記の通りとされています。

 

サンダー・ボルト
ブラック・ホール
落とし穴

 

【スタンダード】1強の時代

 それからしばらくの間は順調にカードプールが成長を続けていましたが、黎明期ゆえに調整不足の部分も多々見られ、やがて環境にパワーカードが飽和してしまうことになります。

 【スタンダード】1強時代の到来です。

 「天使の施し」や「心変わり」などの凶悪な魔法カードはもちろんのこと、「ヂェミナイ・エルフ」や「デーモンの召喚」といった高打点のモンスターが台頭し、以前までとは比較にならないほどのインフレ環境が訪れています。

 このことから、これまで環境屈指のエースアタッカーとして活躍していた「ホーリー・ドール」「カース・オブ・ドラゴン」などのモンスターは軒並み立場を失い、一瞬で環境圏外へと飛ばされていきました。露骨なまでの上位互換カードが立て続けに現れた格好であり、現在の価値観では信じられないほど大味な商業展開(※)です。

(※今風に例えるなら、終了間際のソーシャルゲームを遊んでいるような感覚に近いものがあったのかもしれません)

 その結果、当時の環境は現代で言うところの【ハイビート】系デッキが主流となり、相対的にライフが少なくなったことでゲームスピードが各段に加速しました。

 ただし、例外的に「白い泥棒」や「仮面魔道士」などの低打点アタッカーが使われることはあり、必ずしも打点インフレによる環境支配が横行していたわけではありません。また、相手が「ヂェミナイ・エルフ」を使ってくることを見越して「メカ・ハンター」の採用をあえて見送るなど、現代の定義に近い「メタゲーム」の概念がおぼろげに生まれていたことは確かです。

 もっとも、上述の通りこの時期は明確に「メタ」と呼ばれるものはほとんど定義されていなかったため、事実上は単なるカードのぶつけ合いのようなゲームバランスが辛うじて成立していたに過ぎません。無理矢理に現在の価値観に当て嵌めるなら「ミラーマッチ環境」という分類に該当しますが、当時はそもそも「ミラーマッチ」という概念すら生まれていなかったということは先に述べた通りです。

 しかし、それでも使われるデッキが【スタンダード】しかないというわけではなく、例えば「死のデッキ破壊ウイルス(エラッタ前)」「闇の仮面」などを主軸とした原始的なメタデッキが組まれるケースはありました。

 とはいえ、【スタンダード】ほど安定して強いデッキとは言えず、またそもそもカード資産的に極めて構築難易度の高いデッキでもあったことから、使用率で言えばかなりの少数勢力でした。

 

【エクゾディア】全盛期 遊戯王最初の暗黒期

 そんな【スタンダード】全盛期の環境に致命的な衝撃が走ったのは、同年11月中旬のことでした。

 遊戯王初期を代表する2大サーチャーである「クリッター(Vol.6)」「黒き森のウィッチ(Vol.6)」が同時に参入したことにより、遊戯王OCG最強格の先攻1キルデッキ【エクゾディア】が産声を上げることになります。

 「強欲な壺」「天使の施し」に加え、最初期裁定(どこから墓地へ送られてもサーチ効果が誘発する)の「クリッター(Vol.6)」「黒き森のウィッチ(Vol.6)」をそれぞれ3積みした非常に凶悪なデッキです。

 もちろん、流石に第9期以降のインフレ環境と比べてしまえば中堅レベルの強さに過ぎませんが、そもそも20年近く未来のデッキと比較対象になる時点で何かがおかしいと言うほかありません。少なくとも当時の【スタンダード】の視点では絶望的に次元違いの極悪さを誇っていたことは間違いないのではないでしょうか。

 しかし、そんな【エクゾディア】も成立直後の時点ではまだ先攻1キルに完全特化していたわけではなく、光の護封剣」などで時間を稼いで特殊勝利を狙う構成が主流でした。というより、この頃のカードプールではどう足掻いても【スタンダード】側に勝ち目が無かったため、わざわざ【エクゾディア】側が速度に特化する必要性がそもそもなかったとも言えます。

 とはいえ、【エクゾディア】とのミラーマッチではやはり速度がものを言うため、次第にコンボデッキ寄りの構成に推移していった形です。同年12月に「遺言状(エラッタ前)」が現れるとその流れは決定的なものとなり、この辺りから「先攻1キル」という概念が一気に広まっていきました。

 ただし、この時期の【エクゾディア】は【生け贄無し最上級】ほどではないにしろ構築難易度が高めであったため、カジュアル環境では依然【スタンダード】が大多数を占めていたことは確かです。

 特に頭パーツである「封印されしエクゾディア」が限定パック収録、それも諸々の事情で入手困難な商品だったことから、場所によっては事実上構築不可能に近いデッキと化していることも少なくなかったと言われます。

 もちろん、【スタンダード】では【エクゾディア】に太刀打ちできないというのは誰もが知るところでしたが、少なくとも普通に遊ぶ分にはそれほど致命的な不都合は発生しなかったのではないでしょうか。

 

【エクゾディア】の解体 制限改訂と一部カードの裁定変更

 最終的に、第1期終盤である2000年4月1日にて制限改訂が実施され、【エクゾディア】の天下にもようやくの終焉が訪れることになります。

 エクゾディアパーツはもちろん、「強欲な壺」などのドローソースに厳しい規制が加わったほか、「クリッター(Vol.6)」「黒き森のウィッチ(Vol.6)」にもエラッタ調整が入るなど、かなり念入りに処置が施された格好です。

 これにより【エクゾディア】を先攻1キルデッキとして成立させることは事実上不可能となり、以降しばらくはカジュアルレベルのデッキとして細々と開発が行われていくという結末を迎えました。

 こうした環境の整備によって再び【スタンダード】がトップメタに返り咲き、遊戯王OCGはカードゲームとしての健全さをある程度取り戻すことに成功しています。

 また、ささやかながらデッキ構築におけるカード選択に幅が生まれていたことも見逃せません。【エクゾディア】全盛期という脅威の影に隠れがちでしたが、この頃はカードプールの拡大によって【スタンダード】の選択肢も十分に広がっており、プレイヤー次第で自分のデッキに個性を見出せるだけの自由度が与えられていたのです。

 おおむね黎明期の混乱からは脱したと言ってよく、遊戯王OCGはその勢いのまま第2期へと突入していくことになります。

 

【まとめ】

 遊戯王の環境のうち、第1期の大まかな流れについては以上です。

 より詳細な情報をご希望の場合、以下の記事をご覧ください。

 

Posted by 遊史